大聖歓喜天について


いわゆる、その、こーーー
インドにガネーシャっつーその神様つーか
あーーー神がいるとしてだ、、

で、そのガネーシャっつーーーいわゆる神みたいな存在つーか
あーーー神が、あーーー非常に人気があったとしてだ、
その神が、、

あーーーいわゆるーーーそういった神の存在なり、いーーー信仰つーか
あーーー人は信じるって事に、非常に、いーーー自分の存在みたいなものを
い、いわゆる、頼ってだ、、

じゃねーなー、まーそういった概念つーかナンか持ってーーー
えーーー生きてるわけだ、、

あーーーのーーーいわゆる、インドから、あーーー日本にその神が来たとしてだ、、
ま、来たわけだ、、来たんだ、、

その中でいわゆる、そういった存在感みたいなーーー
その在り方みたいなもんが、こーーー変貌していくわけだ、、

そういう、その存在つーか、原型を留めないものがぁーーー
生まれて、いわゆる、生まれてんだけどーーー



それが、こーーーまた日本の解釈をその、、おーーーいわゆる、神という
存在の解釈をぉーーーまた、別の次元つーか
いわゆる、解釈をするわけで、えーーーしてだ、、

元はもーーー留めて無いつーくらいの考えで、いわゆる
そういった、そのーーー神の在り方がまた別次元で、

こーーー変わっていってだ、、

いわゆる、その日本の島国つーーーか
そのーーー島だから、日本は、島だ、、

閉じた感じでーーーいわゆる、閉鎖的な思考を、いわゆる
持つぅーつーか、持ってしまうわけだ、、

そこに原型があるのかと、すーーーすると考えてもだ、、
無いとしか言わざるを得ない場合つーか
あーーー無いわけだ、、無いんだ、、

で、そこに、いわゆる、また別のいわゆる、価値感つーか
かーーー価値がーーー、価値つってもいらねーーー価値が
いわゆる、ソー言ったものに対して、くっついてだ、、

ソレがいわゆる、原型を留めないままそのルーツとして
いわゆる、存在してーーー存在してだ、、

でーーー結局はいわゆる、不安で商売つーか
うーーー儲けるような、いわゆる昔っからある、うーーー、そーいった
馬鹿みてーーーな、不安をな、売ってんだ、、

あーーー全く違った、その、おーーー神を、おーーーの存在を、いわゆるーーー
同一視するもんがいて、いわゆる、うおーーー同一だけどだ、、
あうーーー同一じゃねぇーって考えるわけでーーー



いわゆる、あれだ、、







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りえぞん?




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1 件のコメント :

  1. -

    もーーーーー
    メンドクサイコト書いたので
    削除です。

    -

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